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第一回「酒桶と酒樽の起源」

甕から木樽へ

室町時代頃まで2石ー3石程度の大きな甕(かめ)で日本酒は造られていました。
安土桃山時代になると、日本酒の需要も高まり、大量に酒を造るため、ヒノキや杉で作った10石桶を利用した酒造りがさかんに行われ、酒の輸送には木樽が使われるようになりました。

ミニメモ―樽と桶の違い―

どちらも水様のものを入れる木の容器ですが、桶(おけ)は蓋のない容器、樽(たる)は輸送用に中身がこぼれないため、蓋をしたものをいいます。固定して使われる桶は徐々に大型化しましたが、樽は移動に便利なように、人が持ち運べる大きさに限定されていました。それでも室町以降、一斗樽や四斗樽の登場で同時に大量の日本酒が輸送できるようになりました。


船の登場

鎖国により海外渡航が禁じられた江戸時代には、諸藩が大型船をつくることも武家諸法度で禁止されました。
しかし、当時、世界最大の都市であった江戸において物資の供給を満たすには陸上輸送では限界がありました。そのため、400-500石の程度の廻船(かいせん)とよばれる小型和船が一大消費地である江戸の物資輸送の中心となっておりました。

当初は、幕府の保護を受けた菱垣廻船(ひがきかいせん)が海上輸送の主体でした。
菱垣とは船の積荷が落ちないように船の縁を囲った菱形の柵をいいますが、それが菱垣廻船の株仲間の目印にもなっていました。
しかし、江戸時代中期ごろより、「下り酒」の評判が高まり、伊丹、池田、灘などで製造された酒を酒樽につめ、専用に大量輸送するため、菱垣廻船の株仲間から独立し、酒問屋が樽廻船(たるかいせん)の運営を始めました。


酒樽だけの輸送であったため、積み込みの手間もかからず、結果として輸送時間が大幅に短縮されました。その後、酒樽だけでなく様々商品を積み込むようになりました。江戸時代後期には、速さと便利さから樽廻船が海上輸送の主流に取って代わりました。当時、樽廻船には4斗樽をのせ、浪速(なにわ)と江戸の間を1年間で、のべ五百艘(ごひゃくそう)もの廻船が出入りしていたといいます。

その際、輸送時の樽の破損を避けるため、樽を菰で巻いたのが菰樽(こもだる)の始まりです。やがて菰(こも)で巻いた樽はそれぞれの造り酒屋が酒を区別するための意匠に工夫を凝らし、小粋な菰樽へと変化しました。
輸送後の樽は、居酒屋などで、入り口に菰樽を据えて酒の名を客に示すと共に、酔客が暴れて壊してもいいようにと、樽と樽の間に板を渡して食台にしたり、椅子代わりとして使われていました。

ミニメモ―筵と菰の違い―

筵(むしろ)も菰(こも)も藁で綴った織物ですが、目の粗いのを菰、それよりも丁寧に編み、織り目が詰まったのを筵といいます。転じて一番粗末な織物を着ている人たちという意味で、藁で自らが編んだ風除けをつけて歩いている人たちはお菰(こも)さんと呼ばれました。


現代の菰樽

現在でも菰(こも)で巻かれた樽と意匠をこらした和の文字は、おししい日本酒を連想させます。
また、木香がほんのりと薫る酒は樽酒として珍重されます。「蔵元からのいい日本酒がありますよ」という印に小さな菰冠を置いているお店も見かけますね。

ミニメモ―菰樽と菰冠の違い―

一般的には「鏡開き」にも使われる4斗入りの大きな酒樽に菰を巻いたものを菰樽といいます。それ以下の小さい樽に菰を巻いて装飾用にしたものは菰冠と呼ばれます。




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