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「続」わが町・岩出 しょうがつさんぽ

中世の根来寺荘園がそのまま町となって発展した岩出市には紀州名所図会にも載っている見どころがたくさんあります。

今年は大宮神社から根来寺に行くまでにある五智房の墓と根来寺の門前町・西坂本、住持池の「図会」と「今」をご紹介します。


五智房の墓

五智房融源は根来寺開祖・覚鑁上人の伯父にあたり熊野権現の遺徳を尊び一生を読経に明け暮れた高僧といわれています。
この図会(図会1) には、後白河法皇が高野山御幸の折、岩出・根来に立ち寄り、五智房融源の徳を偲び僧が読経している背面から頂禮している場面です。

ごちぼうの庵
ごちぼうの庵(図会1)

今はその場所・岩出市・尼ヶ辻に写真のような小さな祠として残っています。

五智房堂跡   五智房堂額
五智房堂跡   五智房堂額


根来寺の門前町・西坂本

五智房の墓から北にあがると根来寺の参道である西坂本に至ります。図会(図会2) は参道の賑わいを描いています。今もその参道の面影がところどころに残っています。

根来西坂本
根来西坂本(図会2)

根来寺は戦国時代、院九十八、僧坊二千七百、寺領七十二万石、僧兵一万余を誇る宗教都市として成長しました。戦国大名にも匹敵する根来寺の僧兵軍団を率いた旗頭は杉之坊・岩室坊・閼伽井坊・泉識坊の四坊であり、その生活と経済を支えたのは門前町・西坂本でした。西坂本には漆器や鍛冶の職人が集住し、鉄砲や武具の製造も行なわれていました。

根来寺が鉄砲集団として有名になったきっかけは四坊の一つ杉之坊の院主である津田監物算長が天文十三年(1544)三月、種子島に渡り、鉄砲一丁を根来に持ち帰ったことによります。その鉄砲の複製を根来西坂本の芝辻鍛刀場・芝辻清右衛門妙西に命じ、根来鉄砲衆が誕生しました。その後は産業化された鉄砲を始めとした武器生産で全国に名を馳せました。

西坂本参道1   西坂本参道2   西坂本参道3


住持池

大蛇がすんでいたという伝承がある大池です。その池のほとりに住まいしていた荘司である室谷右兵衛尉忠家の娘が嫁入りの時、大蛇にさらわれ池の中に姿をけしました。それに怒った忠家が池さらいをして大蛇を退治したという故事があり、忠家がさらえた池ということで荘司が池と呼んでいましたが、そのうち住持池(住蛇池)と呼ばれるようになりました。

住持池
住持池

現在でも未だにまんまんと水をたたえ付近の灌漑用水として利用されております。

住持池 住持池






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