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1.風土2.土蔵3.素材4.人5.発信6.築き7.受賞歴

1.風土

1:風土と当蔵の酒2:和歌山の風土3:岩出市の風土4:根来寺の歴史5:和歌山の食文化6:和歌山の食材


2:和歌山の風土

和歌山県の山々
和歌山県の山々

和歌山県の総面積は 4,726km2である。このうち山地が 3,832km2で、総面積の約81%を占め、ほとんど山国といってもよい。和歌山県は本州最大の半島、紀伊半島の西と南の半分を占め、県南部の潮岬は北緯 33 度 26 分にあり本州最南端である。和歌山県は東経 135 〜 136 度の間にほぼおさまるので日本列島の中央に位置する。また、海に面するところが長く、海が主要な交通路であった近代以前には、沿岸部は海路の要衝であり、海運業が発達し、漁業技術がすぐれていた。潮岬は黒潮に洗われ、紀南は気温温暖で雨量が多く、森林の生育によく、熊野の山間部は良質の熊野木材を産出する。和歌山と一言でいっても紀北と紀南の温度差は大きく、特に高野山は他の地域と異なり、夏は平地より 10 度近くも涼しい。高野山上の冬は雪に埋もれ、特別の聖地である。川の代表は紀ノ川であり、本県最大の紀ノ川平野(和歌山平野)は肥沃な耕地を形成し、古代から豊かな文化をはぐくみ育ててきた。

川の文化

和歌山県の山々
今も昔も和歌山を流れ続ける紀ノ川

和歌山を代表する川である紀ノ川は全長 136km 、流域面積 1,660km2を誇る日本有数の大河である。大和・伊勢・紀伊の国境大台ヶ原山に発し、岩出市の南端を掠め西走して紀伊水道に注いでいる。農業用灌漑の面より考えても生活には掛け替えのない川である。山また山の紀伊国でも北部の紀ノ川流域だけは唯一の例外である。ここには平野がひらけ、江戸時代には水田灌漑用の堰が開削され、流域は美田に生まれかわった。特に下流は肥沃な平野に恵まれ、水田耕作が発展し、良質の米が生産された。紀ノ川が海に入るあたりの南部一帯は山部赤人の「若の浦に潮満ちくれば潟を無み葦辺をさして鶴鳴き渡る」という歌で知られる和歌浦沿岸である。

山の文化

和歌山県の山々
詣でる人々

和歌山は紀伊国といわれますが、以前は木の国と記されていた。これは山地が多く、温暖多雨のもと、木々が繁りあった風土をよく言いあらわした言葉である。熊野古道の中辺路は、京から田辺へ出て、そこから半島を横切るように山間の道を行き、本宮を経て那智へ至る道である。分け入っても分け入っても山また山の道が続き、木の国のいわれがよく実感できる。熊野詣で霊場熊野三山、真言密教の聖地高野山、観音信仰の聖地粉河寺・紀三井寺などの独自の宗教風土を持っている。全国的にみても宗教史上重要な役割を果たし、和歌山を宗教王国たらしめた。中でも熊野は神武東征神話に登場して以来、神々の坐すところとされ、平安時代末期の院政時代には歴代上皇による頻繁な「熊野詣」がありました。京の都からはるかなる熊野まで難路をものともせず、人々は熊野三山(本宮・新宮・那智)に詣でました。熊野の地は古くから死霊が集まる死者再生の聖域とされ、男女の別、貴賎を問わず多くの参拝者を受け入れました。熊野に詣でれば病苦から逃れられ、たとえ途中で行き倒れても来世で救われる、また道行く人々と助け合うことが死んだものへの供養になると信じ長旅の苦しみを分かちあいました。 昔からこの地は、日本のこころの故郷として意識されてきたのです。

>>「車坂」は、小栗判官が熊野に向かう際、通ったといわれる坂から命名しました。

海の文化

紀伊半島の海岸沿いに波に洗われるようにして奥熊野・新宮へ至る道が大辺路である。大辺路の海岸は陽光にあふれ、黒潮が押し寄せる。海運が古代から発展し、源平の合戦に際しては、熊野水軍がどちらにつくかで勝敗を決するほどの力があった。漁業では、熊野の捕鯨業は世界の捕鯨業の中でも最も優れた歴史を持つ。他の紀州漁業も、関東から東北、四国、九州へまでも高度の技術を持って活躍した点は注目される。漁業の発展が和歌山の食生活を特色づけたことはいうまでもない。

>>豊かな恵みを絶えることなく与えてくれる黒潮から命名した、米焼酎「黒潮波」


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