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1.風土2.土蔵3.素材4.人5.発信6.築き7.受賞歴

1.風土

1:風土と当蔵の酒2:和歌山の風土3:岩出市の風土4:根来寺の歴史5:和歌山の食文化6:和歌山の食材


6:和歌山の食材

和歌山の食に関する歴史は古い。特に味付けの基本となる砂糖、かつお節、醤油、酢、等にはすぐれたものが生み出されました。ここでは和歌山と縁が深い食材を紹介し、その歴史を紐解きます。

砂糖

輸入品に代わって砂糖の生産が始まったのは元禄初年、薩摩藩の奄美大島であったが、寛政年間(1789〜1801)から各地で市場向けの生産が行われるようになったといわれている。『紀伊族風土記』によれば、和歌山では元文4年(1739)に紀州城下の安田長兵衛がはじめて甘蔗苗を植えて翌年に砂糖を製造し、寛政2年(1790)からその製法を諸州に伝え、「皇国にて砂糖を製する初という」と述べている。特に白砂糖の生産は、薩摩藩でも明和7年から始められているのに、紀州藩ではそれよりも二十数年早い寛保3年(1743)7月には江戸幕府に献上し、好評を得ており、その技術が進んでいたといえる。

かつお節

かつお節といえば土佐が本場であるが、じつは紀州の人が土佐に移住し、紀州の優れた技術をもとに、現在の原型となる土佐のかつお節を完成させた。紀州の人が果たした役割は大きい。紀州と土佐の関係は、古くより海を通じ、漁業を介して密接な関係にあった。

湯浅醤油

有田郡湯浅町でつくられてきた湯浅醤油の歴史は古く、日本醤油の起源を成すという説もあるが、確実な資料がある訳ではなく、伝説的な要素も多い。もっとも有名な話とされているのは、由良の興国寺の開祖法燈国師の話である。13世紀の前半に法燈国師が中国から味噌の製造法を習って帰国し、味噌を造るときに沈殿した液から醤油製造が始まったというものである。いずれにしても、和歌山の醤油が日本でも古い歴史を持つことはいうまでもない。この地の水が醤油を造るのに適しているといわれる。

径山寺味噌(金山寺・きんざんじ)

興国寺の法燈国師が中国から径山寺味噌の醸造法を習って帰国し、有田郡湯浅村で布教を開始したときからつくられだしたという。この地の水や風土が適していたため、特産物として現代に至っている。

粉河酢

江戸時代、粉河寺の門前町の粉河で酢の生産が大々的に行われ、他国にまでその名が知られていた。その起源については 10 世紀末、花山法皇が西国霊場を開いたときに粉河の渓流が酢の生産に適していたことから、その製法が伝えられたという。江戸時代には、和歌山や江戸に出店を持つほどに発展した。粉河酢は那賀郡でとれる上質米を原料とし、水質に恵まれ、品質は兵庫や津で生産された酢よりもすぐれていたといわれる。明治時代には、北海道、関東、近畿、四国、九州、朝鮮、台湾にまで販路があった。しかし、明治31年を最高として衰微し、大正末には那賀郡全体でも清酢の生産が行われなくなった。酢酸を混入した混成酢の流行に敗北したのである。

高野豆腐

高野豆腐は凍り豆腐ともいわれ、その名の示すように、高野山の厳しい寒さと豆腐を上手に利用した人間の知恵である。高野豆腐の起源は明らかではないが、既に中世以来天下に流布し、幕末期には高野山上に数十軒の生産者があり、年間数十万個を生産したという。

紀州みかん

紀州みかんの歴史は確実な資料にも残されており、最も古いのは享禄2年(1529)で、紀州から京都に帰る貴族が土産物として持ち帰ったというものである。当時は大変な貴重品であり、天正8年(1580)に織田信長に5かご献上したとの記録や、その後も慶長16年(1611)に徳川家康に200個贈ったという記録が残っている。

桃

和歌山の桃の歴史は古く、寛永二年( 1625 年)に紀州藩主徳川頼宣公の命を受けて、桃の苗木を植えたのが始まりとの言い伝えがあります。徳川 頼宣( とくがわ よりのぶ )公は 徳川家康 の 10 男で、 水戸藩 ・ 駿府藩 ・ 紀州藩 の藩主を歴任して 紀州徳川家 の祖となった人物です。八代将軍 吉宗 の祖父にあたります。

梅

梅の栽培の歴史も資料的に明らかになるのは江戸時代からである。文化10年(1813)には、「漬梅」の資料があらわれ、文政9年(1826)の『紀州田辺領名産品数書上帳』には、田辺、南部の梅干しが名産品に上げられており、文政10年には田辺町や南部村のものが江戸へ梅干しが贈くられている。

備長炭

備長炭は世界に誇る品質を持ち、“うばめがし”または“かし”を1000度以上の高温で焼いたものです。たたけば金属音がし、火力が強く、長持ちする。その歴史は明確ではないが、近世中期頃に田辺の備中屋長左衛門が、秋津川で生産される炭を、自分の屋号をつけて「備長炭」として江戸に送ってから、備長炭の名が広まったという。発明者に関しては明確にすることができないが、この地方に住む多くの人々が紀南の暖かいところに生育するうばめがしを、長い年月をかけて改良を続け、完成されたものであることに間違いはない。


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