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心清き年であれかし

八百万の神のご加護に感謝

この混沌とした時代だからこそ、日本人の心の拠り所として「森羅万象すべてに命が宿っていることを肝に銘じ、清く正しい心で相手に接し、礼をつくす。」という神道の考え方が必要なのではないでしょうか。神道においては八百万の神(森羅万象総命宿、つまり、すべてのものに神が存在する)が信仰や畏怖の対象として奉られています。

正月に社寺に詣でたり、お盆には先祖を敬い、「どちらにしようかな、裏の神様の言うとおり」など子供の言葉遊びでさえも神は常に身近に感じられる存在です。神道は教義を教えられるまでもなく日本人のDNAに深く刷り込まれた自然発生的な精霊信仰とも言えます。

信仰や畏怖の対象が身近に感じられる日本人独特の宗教観だからこそ、他の宗教にも寛容です。クリスマスを祝ったり、仏様と神様が融合したり、結婚式の時だけキリスト教徒になったりと日本人は融通無碍に世界中の神々を我らが八百万の神様として敬っています。

当店の地元である紀州は平安の世から、神宿る地として熊野詣が老若男女を問わず盛んに行われてきました。修験道の先達に導かれ人々が歩いた古道が今も残っております。この古道は、先般、「熊野古道」として世界遺産に登録されました。

2009年を迎えるにあたり、当店も、我々の身近に居られる八百万の神々のご加護に感謝し、旨し酒造りに邁進します。今年も応援よろしくお願いします。

当店の地元岩出の神々をご紹介します。お近くにお立ち寄りの際は、是非ご参詣ください。


神道の拝礼の作法

一般的な神社の拝礼の作法です。心清らかに鳥居をくぐり、先ず、手水舎で左手、右手を洗い、口を漱ぎます。鈴を鳴らし、神に参詣を知らせ、賽銭を奉納します。本殿の前では自分の願いを神に誓いながら、二拝(二回お辞儀)、二拍手、一拝を行います。

ご参詣の時にお役にたつように神々の得意分野も挙げております。岩出の神々の力で世の中を明るくしましょう。



山崎神社

岩出市赤垣内108

ご祭神は、大市姫神(オオイチヒメノカミ)、須佐之男命(スサノウノミコト)、大山祇神(オオヤマツミノカミ)の三神です。古くは、大市姫一神だけを祭神として奉じていましたので大市姫神社と呼ばれていました。

拝殿の後ろには大きな鎮守の森をもつ神社で、大鳥居から一直線に続く参道は、手入れが行き届き隅々まで掃き清められております。


神社縁起によれば、鳥羽上皇が熊野三山へ向かう途中、雷雨激しく降り注ぎ、進退窮まった時に、雲間より大市姫神様がお姿を現し、雷を止めた故事より、降雲大市姫ノ神社と呼ばれ、近隣に雷除の神符を授け 在所に雷の落ちる事なしといわれていたそうです。

山崎神社


神様トリビア

大市姫神(オオイチヒメノカミ)は、須佐之男命(スサノオノミコト)の妻そして大山祇神(オオヤマツミノカミ)の娘である。山崎神社は大変血縁の深い神々をお祭りしているため、家庭円満祈願の神社でもある。
大市姫神(オオイチヒメノカミ)は、五穀豊穣の神として敬われ、その五穀を売買する市の繁栄や商売の神とも考えられている。

山崎神社


伊弉册尊(イザナミノミコト)と伊弉册尊(イザナミノミコト)から生まれた三貴子(ミハシラノウズノミコ)の一人である須佐之男命(スサノオノミコト)は、天照大神(アマテラスオオミカミ)と月夜見尊(ツクヨミノミコト)の弟である。日本書紀や古事記では荒ぶる神として描かれている。しかし、出雲に降臨後は、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)退治の伝説や大国主命(オオクニヌシノミコト)との国造りの逸話などもよく知られる英雄神となった。

山崎神社


国津神(クニツカミ)である大山祇神(オオヤマツミノカミ)は、その名の通り、山を支配する自然神として奉られている。
娘である木花開耶媛(コノハナサクヤヒメ:大市姫神とは姉妹)が火遠理命(ホオリノミコト:神武天皇の祖父)を産んだ時、父の大山祇神(オオヤマツミノカミ)が大変喜んで狭名田(サナダ)の茂穂(シゲホ)を醸し、天甜酒(アメノタムケノサケ)を天津神(アマツカミ)に献上したという逸話から、穀物で醸した酒を初めて造った神として酒解神(サケトキノカミ)とも称される。

山崎神社

山崎神社


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船津八幡神社

岩出市岡田46

岡田の宮と呼ばれ、地元の産土神です。本殿裏には竹薮がひろがり、正面は小さな公園のようなかわいらしい境内です。花見の頃に満開の桜がとてもよく似合います。

船津八幡神社


主祭神は 、誉田別命(ホムタワケノミコト:応神天皇、八幡神)です。

伝承によると、船津八幡大神は鎌倉より流れ来てこの地に留まったとされています。古には、十七町もある社領を有していましたが、秀吉の根来攻めの戦火により焼失してしまいました。

船津八幡神社


地元に根ざした例祭が行われていますが、特に、毎年一月十五日に行われる講祭は有名です。氏子の中で家を継ぐ者が十二〜三歳になると”おとうをくぐのぎ”として八幡様に報告祭を行います。古より伝わるこの祭りの時のみ開けられる黒箱を開帳します。中を確認後、記帳し、すぐ封印され、次の開帳まで大切に保管されます。 この神事は、鰹の焼きもの、こんにゃくにごぼうを串刺しにしたもの等を供えることなど細部にわたるしきたりの中、神職と氏子たちによって厳粛に行われるそうです。

船津八幡神社

船津八幡神社


神様トリビア

全国津々浦々に八幡宮があるが、その総本社は大分県宇佐市宇佐神宮(宇佐八幡宮)とされている。もともとは神の依り代である「ハタ」が数多くあるということで「ヤハタ」の神と呼ばれる宇佐地方の産土神であった。しかし、欽明天皇の御世、「我誉田天皇広幡八幡麿也(ワレハホムタノスメラミコトヒロハタヤハタマロナリ)」と称して八幡神が現れたことから応神天皇の神格とされた。仏教が隆盛になると本地垂迹説から菩薩とも同一視され、八幡大菩薩さまとも呼ばれている。また鎌倉時代には源氏の守護神と崇められ、武家の神として護国の守り神とされた。そのため、全国に1万を越える八幡神が祭られている。

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坂本神社

岩出市西坂本1764

元は今宮大明神社と称されておりました。 西側に水神伝説の大きな住持ヶ池(住蛇ヶ池)があり、神秘的な雰囲気をかもしだしています。鳥居左手には、戦火をくぐりに抜けてきた手水石があります。また、長い階段を登ると天には何も遮るものもない厳かな社殿を拝むことができます。

坂本神社


明治政府の合祀政策により、根来地区の御船明神社や山宮大明神社などの神社を合祀しているため、以下のようにご祭神は多数おられます。

ご祭神 読み方 いわれ
罔象女命 ミツハノメノミコト 伊弉册尊(イザナミノミコト)から生まれた水の神様
埴山姫命 ハニヤマヒメノミコト 伊弉册尊(イザナミノミコト)から生まれた土の神
屋船句久智命 ヤフネククノチノミコト 樹木の神
手置帆負命 タオキホオイノミコト 建築の神、讃岐忌部の祖神
彦狹知命 ヒコサシリノミコト 建築の神、紀伊忌部氏の祖神
倉稻魂命 ウカノミタマノミコト 稲の神、お稲荷様
天疎向津姫命 アマサカルムカツヒメ 天照大神の荒御魂
素盞嗚命 スサノウノミコト 天照大神の弟、須佐之男命の別称
大己貴命 オオナムチノミコト 大国主命の別称
事代主命 コトシロノミコト 大国主命の子
市杵嶋姫命 イチキシマヒメノミコト スサノオの剣から生まれた宗像三女神の一神
氣長足姫命 オキナガタラシヒメノミコト 神功皇后
譽田別命 ホムタワケノミコト 応神天皇、八幡神
天太玉命 アメノフタダマノミコト 忌部氏の祖神
天兒屋根命 アメノコヤネノミコト 中臣氏の祖神


住蛇ヶ池伝説

平安の昔から、山あいに隠れるようにして佇む大きな池は、住持ヶ池と呼ばれていた。小野小町が言い寄る貴族たちから逃れようと一人の侍女をつれて都を離れた。その頃、小町の歓心を得ようとしていた数多の貴族の中でも特に恋焦がれていた深草少将は、突然、都から姿を消した小町の後を荒ぶる心で追った。

都を離れ、泉州から峠を越え、ようやく根来についた二人が安堵して峠を眺めると恋に怒り狂った少将の姿が見えた。「もはやこれまで」と悟った侍女は、小町の装束を借り、小町だけを逃がし、少将を待った。住持ヶ池のほとりまでたどり着いた侍女は後ろから声をかける少将に、「わたしはこの池に身を投げます。どうかあきらめてください」と言い残し、身を投げようとした。その時、少将につかまり、顔を見られてしまった。

少将は「お前は、小町殿ではないな。汝、たばかりしか。小町殿、お恨み申す」と叫び、怒りのあまり、池に身を投げてしまわれた。飛び込んだ波紋の中に大蛇が身をくゆらせながら水底に消えていく姿が見えた。

その何百年も後、根来山のふもと西坂本に室谷という長者が住まいしていた。長者は、跡取りのないことを心配して小町の墓に願掛けをした。おかげで玉のように美しい姫を授かり、桂姫として大切に育てた。


姫の婚礼の日、輿が住持ヶ池にさしかかった時、池から突然、大蛇が飛び出し、姫をさらって再び、水中に消えていった。

姫を失った両親は、池のほとりで幾夜も泣きあかした。望月の夜、水辺が波立ち、一瞬、大蛇と桂姫が仲むつまじく寄り添う姿が見えたかと思うと、そこには、二匹の大蛇が睦みあいながら泳ぐ姿が月明かりに照らされていた。

姫をさらった大蛇は深草少将、姫は小町の生まれ変りで来世では良き仲となり結ばれた。それから、池は住蛇ヶ池と呼ばれるようになった。


住持ヶ池の物語は、後に『根来の子守唄』の2番の歌詞にも歌われるようになった。

♪ねんね根来の かくばん山でよ とっしょじ来いよの 鳩が鳴くよ
♪ねんね根来に 行きたいけれどよ 川がおとろし 紀の川がよ
♪さんさ坂本 室谷の娘よ 嫁入りしたそな 住持池よ
♪ねんね根来の 夜鳴る鐘はよ 一里聞こえて 二里ひびくよ

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荒田神社

岩出市大字森237

10世紀の始めごろには、延喜式神名帳にも記録されていた由緒ある式内社(官社)でした。
根来攻めにより、焼失した本殿は、17世紀初めに小ぶりの三間社流造として再建されました。1996年には、県の文化財として指定されております。

坂本神社


檜皮葺で、身舎・庇とも豪華な彫刻と彩色で飾られている往時の姿が、2006年に4年がかりの改修工事を経て蘇り、境内も整備されました。
楠木の大木があり、住宅地の中ですが遠くからでも鎮守の森が確認できます。

坂本神社


ご祭神 読み方 いわれ
高魂命 タカムスビノミコト 賀茂氏の祖神
剣根命 ツルギネノミコト 賀茂氏の祖神
天疎向津姫命 アマサカルムカツヒメ 天照大神の荒御魂
天忍穂耳命 アメノオシホミミ 瓊瓊杵尊の親、天照大神の子
大山祇命 オオヤマツミノミコト 須佐之男命の義父
大山咋命 オオヤマクイノミコト 須佐之男命の孫、山の神
気長足姫命 オキナガタラシヒメノミコト 神功皇后
誉田別命 ホムタワケノミコト 応神天皇、八幡神
菅原道真 スガハラノミチザネ 学問の神
丹生都比売命 ニュウツヒメノミコト 天照大神の妹の稚日女命の別称
市杵島姫命 イチキシマヒメノミコト 海の神、弁財天様
素盞嗚命 スサノウノミコト 天照大神の弟、須佐之男命の別称
香具都智命 カグツチノミコト 火の神、火之迦具土神の別称
白髭大明神 ヒラヒゲダイミョウジン 天狗様、猿田彦命の別称
祓戸九柱神 ハラエドクバシラノカミ 伊邪那岐をしたときに生まれた神々の総称
倉稲魂命 ウガタマノミコト 稲の神様 稲荷神
大国主命 オオクニヌシノミコト 素盞嗚命の義理の息子
大社命 オオシロノミコト 大神の総称か?

神様トリビア

天皇家のご寿命

天照大神(アマテラスオオミカミ)がその子である天忍穂耳命(アメノホホミミノミコト)に葦原中国(アシハラノナカツクニ)の統治を命じ、降臨させようとしたが、天忍穂耳命(アメノホホミミノミコト)は我子である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)を推挙した。

国津神である大山祇命(オオヤマツミノミコト)は、娘の木花開耶姫(コノハナノサクヤヒメ:父から富士山を譲られ富士山の神格)とその姉の磐長姫(イワナガヒメ:不老長生の神)を降臨した瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)のもとに嫁がせた。しかし、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)は容姿が醜い磐長姫(イワナガヒメ)だけを帰らせた。

大山祇命(オオヤマツミノミコト)は、「二人を瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に嫁がせた訳は天孫が岩のように永遠のものとなるよう磐長姫(イワナガヒメ)を、また、天孫が花のように繁栄するようにと木花開耶姫(コノハナノサクヤヒメ)を嫁がすとの誓約を立てたからだ」と怒りながら語り、「両名を嫁がすという誓約が破られたので天孫の寿命は短くなる」と告げた。以降、天皇家のご寿命は永遠ではなくなった。

坂本神社

坂本神社

坂本神社


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上岩出神社

岩出市北大池396

鳥居をくぐり、長い階段を登ると社殿が見えてきます。
秀吉の根来寺攻めとともに焼失しましたが、灰燼の中より無傷でご神鏡が見つかったため、それを祝い村人が小社を奉納したといわれています。
現存の社殿は、文禄三年(1594)に再建されました。
棟札によると施主は興山上人、本願は覚栄法印、大工は平国家とのことです。根来寺の鎮守のため、根来開山の覚鑁上人が、白山大神を勧進したと伝えられています。
1969年に指定された県文化財である建物は三間社流造り、桧皮葺で南面建物全体に丹塗、平彩色が施されています。

上岩出神社

上岩出神社


ご祭神 読み方 いわれ
天御中主命 アメノミナカヌシノミコト 天地開闢の時、高天原に最初に現れた神
菊理比賣命 ククリヒメノミコト 菊理媛神は白山比盗_と同一神
伊弉諾尊 イザナギ 男神
伊弉冉尊 イザナミ 女神
宇加魂命 ウガタマノミコト 稲の神、倉稻魂命の別称、お稲荷様
水岡女命 ミズハノメノミコト 罔象女命の別称
三筒男命 ミツツノオノミコト 伊弉諾尊から生まれた海の三神、住吉三神の別称
底筒男命 ソコツツノオノミコト 航海を司る神 、住吉三神の一神
中筒男命 ナカツツノオノミコト 航海を司る神 、住吉三神の一神
表筒男命 ウワツツノオノミコト 航海を司る神 、住吉三神の一神
日本武命 ヤマトタケルミコト 日本武尊の別称
少名彦命 スクナビコノミコト 知恵の神
白山比売命 シラヤマノヒメノミコト 白山比盗_、菊理媛神の別称
大日霊女命 オオヒルメノミコト 天照大神の別称
素盞嗚命 スサノウノミコト 天照大神の弟、須佐之男命の別称
市杵嶋姫命 イチキシマヒメ スサノオの剣から生まれた宗像三女神の一柱
天忍穂耳命 アメノオシオミミノミコト 天照大神の子
大宣都比売命 オオゲツヒメノミコト 素盞嗚命に殺された穀物の神
猿田彦命 サルタヒコノミコト 天孫降臨の時、瓊瓊杵尊に同行した神
事代主命 コトシロノミコト 大国主命の子
品陀別命 ホムタワケノミコト 誉田別命の別称
天兒屋根命 アメノコヤネノミコト 中臣氏の祖神
天太玉命 アメノフトダマノミコト 忌部氏の神祖
若一王子 ニャクイチオウジ 神仏習合の神、本地仏は十一面観音
菅原道真 スガハラノミチザネ 学問の神

近隣の三十六社を合祀していますので数多くの神々が祭られています。


神様トリビア

伊弉冉尊(イザナミ)が火之迦具土神(ヒノカグツチノカミ:火の神)を生んだ時、女陰(ホト)に火傷ができ、それが原因で死んでしまう。
死んで黄泉国(ヨミノクニ)へ行った伊弉冉尊(イザナミ)を慕って伊弉諾尊(イザナギ)は、黄泉国に向かい、伊弉冉尊(イザナミ)に合うが、醜く変わり果てた姿を見て、逃げかえる。
黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)で追いついた伊弉冉尊(イザナミ)と伊弉諾尊(イザナギ)は口論になった。
その時、菊理媛神(ククリヒメ)が伊弉諾尊(イザナギ)に声かけし、仲を取り持ち、両者はお互いの国に帰った。
「くくり」から「括る」を連想させる名と伊弉諾尊(イザナギ)、伊弉冉尊(イザナミ)の仲を取り持ったという逸話で菊理媛神(ククリヒメ)は「縁結びの神」としてもよく知られている。

上岩出神社

上岩出神社

上岩出神社

上岩出神社


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大宮神社

岩出市宮75

祭神は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)です。元明天皇御代(712年)に尾張の熱田神宮より日本武尊を勧請し、岩出の村社として隆盛を誇りましたが、秀吉の根来攻めで焼失、後に徳川頼宣によって再建されました。

かっては広大な社領を有しており、その社領を確認する神事として、大宮の秋祭りは、斎刺(ヨミサシ)祭りともいわれております。深夜に神職と氏子の男子が白装束に身を包み、上組は紀の川市下井阪の「奥のはざま」、下組は岩出市吉田の「一本松」の御旅所まで『払いたまえ、清めたまえ』と叫びながら村々を走り抜け神木の榊を奉じます。

戴いた神木である「奥のはざま」の榊は上の体、「一本松」の榊は下の体の悪病除けとして珍重されます。深夜に白装束の一団が走り抜ける姿は、往時を偲ばせ神秘的でもあります。民俗学的にも、たいへんめずらしい奇祭として有名です。(10月の第一土曜日に開催)

鳥居の前方には神楽などの奉納が行われる奉納殿があり、その後方に豪華な拝殿が三社並んでいます。

大宮神社

大宮神社

大宮神社


神様トリビア

須佐之男命(スサノウノミコト)が八岐大蛇(ヤマタノオロチ)退治の時、大蛇から手に入れた天叢雲剣(アメノムラクモノツルギ)は、天照大神(アマテラスオオミカミ)に謙譲され、天孫降臨の際、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト:天照大神の孫)に授けた。

大宮神社


その後、剣は、天皇家に代々伝わり、倭姫命(ヤマトヒメノミコト)から、東征へ向かう日本武尊(ヤマトタケル)に手渡された。東征の途中、志半ばで病に倒れた日本武尊(ヤマトタケル)は白鳥(シラトリ)になり、都に帰った。数々の武功により草薙剣(クサナギノツルギ)と名づけられた天叢雲剣(アメノムラクモノツルギ)を祭るため、尊のお妃である宮簀媛命(ミヤスヒメノミコト)が熱田神宮を勧進した。天皇家の三種の神器の一つとして現在でも熱田神宮のご神体である剣は、かの地で大切にお護りされている。

大宮神社


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旧暦カレンダー プレゼント

旧暦カレンダー

2009年の旧暦カレンダーです。一粒万倍日が一目でわかります。このカレンダーで福をお引き寄せください。
2009年1月中に当店のweb shopでお買い求めいただくと、A4サイズラミネート加工の上記カレンダーを同封させていただきます。
*一粒万倍日:この日に播いた一粒の種は万倍にも増えるという縁起の良い日

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