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5.発信

1:看板と日本城 〜地域密着の歴史〜2:新聞広告連載 〜根来寺〜3:新聞広告アーカイブス

吉村秀雄商店は、蔵を構える和歌山県・岩出市=“根来(ねごろ)”に密着し、歴史や風土を大切にメッセージを発信してまいりました。ここでは、看板や新聞広告を中心にご紹介します。

1:看板と日本城 〜地域密着の歴史〜

はじめに

創業以来和歌山に根ざして90年、弊社の酒造りにも様々な変遷がありました。

販売方法にも時代に合わせて大きな変化がありました。
創業者の吉村秀雄は、その積極的な販売政策で弊社の名前を世間に知らしめました。当時ではめずらしいアドバルーンを使った宣伝や、和歌山城下で市内の芸者を全て集めて取引先と花見をしたと言った剛胆なエピソードも残っております。当時のお酒は、清酒の他にはビールくらいしかなく、造れば売れる時代でもありました。

ここでは、創業者である吉村秀雄時代に行った看板の写真(一部残っているもの)を見ながら当時を振り返りたいと思います。

灘の生一本

和歌山は、灘や伏見がそう遠くない位置にあり和歌山の蔵元は常に灘大手酒造メーカーの販売力、商品力と競い合わなくてはいけない厳しい経営環境に置かれました。
そのため、和歌山の蔵元は、灘の大手に対抗するため“逆に灘へ進出”をして酒造りを行うという策をとりました。その「灘」というブランド力、商品力に対抗することにより、県内の市場を守り、県外に市場を広げようとの想いからでした。

「灘の酒でなければ酒ではない」と言われた時代もあり、灘ブランドには圧倒的な力がありました。「灘もの」かどうかで仕入を決める卸会社、酒販店もありました。
また、とある鑑定官の先生に過去の話を伺ったところ、灘の大手は東京に送った商品で売れ残ったものを、西へ西へと送りながら販売しその最後の経由地が和歌山だったという裏話もあるそうです。そのため価格面での競争もありました。

弊社も含め4社の蔵元が“灘への逆進出”という戦略をとりました。(資料1参照)
そのため秀雄時代の看板には、“灘の生一本”と書かれているものが多いことに気が付くかもしれません。

「灘の生一本」の写真を見る



看板陣取り合戦

開店記念

開店記念

当時と現在では大きな違いがあります。
それは、当時は酒販店で最も売れる酒が日本酒であったこと、飲食店においてはメニューには“酒または冷酒、燗酒”といった項目しかなく、ひとつの店に置かれる日本酒は1銘柄であったことです。その中で看板は陣取り合戦に大きな役割を果たしました。看板を置けば、オンリーワンの存在として弊社の酒を売ってくれたのです。
ですから、開店時には看板をどこの酒蔵のものにするかで酒販店と飲食店と酒蔵の間で駆け引きが行われました。

「開店記念」の写真を見る

飲食店

飲食店

飲食店に掛ける看板は、飲食店の求めに応じてデザインや形も様々でした。看板屋さんと打ち合わせをして、目立つように作っていきました。

「飲食店」の写真を見る


看板の設置合戦

看板の設置合戦

酒販店の軒先や壁面では看板の設置合戦です。「あの蔵よりも大きいものを」「電気が付くやつだったら掛けてあげる」といったやりとりで酒販店のまさに“看板銘柄”が決まったのでした。

「看板の設置合戦」の写真を見る

旅館

旅館

旅館での取扱も一銘柄だけでした。そのため宴会が入った日には何十ケースと運んだものです。海沿いには釣り旅館も多く、大いに賑わいました。

「旅館」の写真を見る

掛け替え

掛け替え

開店○○周年記念や、他の銘柄から弊社の銘柄に変わるときなどには看板の掛け替えを行いました。看板が古くなると営業マンは腕の見せ所であり、お客様の信用を得たり、また他の銘柄に変えられたり、変えたりの争いでした。

「掛け替え」の写真を見る


町並みと一体化する日本城

町並みと一体化する日本城

県下でNO.1の売上を誇った時期もあり、往時は弊社の看板が至るところで見られました。和歌山〜岩出〜橋本へ向かう川筋では、電柱全てに日本城の看板があったと懐かしく話してくれる地域のご老人もいらっしゃいます。そんな町並みと日本城の看板が収まった写真をご紹介致します。懐かしい道、懐かしい車、懐かしい町並みがあるかと思います。ぜひご覧下さい。

「町並みと一体化する日本城」の写真を見る

現状を申しますと、弊社では看板の協賛を行っておりません。
それは創業者である秀雄の時代から二代目である善雄の時代に起こった劇的な変化のひとつでもあります。

看板争いは、シェア争いが生んだあだ花であり、それはすなわち増産競争の時代を意味しました。善雄は時代の変化を察知し、年々看板の協賛やリベートを減らしていったのです。『販促費を掛けるくらいなら、米をもっと磨け』と品質向上に尽くしました。

間もなく時代も変化をはじめました、「看板銘柄」という概念が通用しなくなってきたのです。
現在では飲食店でも1銘柄だけのお店はほとんどなくなってきております。お客様から「○○の酒はないの?」という質問や、「○○な味わいの酒がほしい」と要望が出るようになったためです。

つまり何でも良かった時代からこだわりで選択する時代への変化です。

そして弊社の酒は「ご指名頂ける酒、ご納得頂ける味わい」を目指し、販売促進費のほぼ全てまでもを品質追求に回していきました。それまでの品質重視に更に輪を掛ける道に歩を進めたのです。

現在では、弊社の看板も大分なくなり、まだあるところでも古くなって参りました。そのうちなくなり、懐かしい思い出に変わるかもしれません。

しかし、私たちの酒は目に見えるものから、体で感じる旨い酒に変化していることと思います。
想いの中に残り続ける旨い酒を、これからも造り続けたいと思います。時代の変遷と、これからの私たちを感じて頂きたく過去の看板とそこから伝わる歴史を簡単にご紹介しました。善雄がめずらしく作った案内板に弊社の道標が示されていると思います。
その一枚を最後にご紹介致します。



1:看板と日本城 〜地域密着の歴史〜2:新聞広告連載 〜根来寺〜3:新聞広告アーカイブス




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